"子"だからこそできる見せ方で
アイデア溢れる参加型「塾」
"親の遺品をどうしよう?"という、多くの遺族が抱える問題の一つの答えである「人物記念館」。
親族自身が運営に携わることに対する想いを伺いました。
- Date:2021.4.17 13:00~
Interviewee:盛田 直子様(盛田昭夫塾 館長)
Interviewer:木原 智美(フィールドアーカイヴ 代表)
- 1 「この施設を遺そうと思われたきっかけを教えてください」
- 2 「常設展示に際し、他の施設にはないユニークな品や見せ方などは何ですか」
- 3 「開館当初の見せ方から変化した部分はありますか、もしあればなぜ変化させましたか」
- 4 「続けていくにあたって苦労されていること、お困りごとがもしあれば教えてください」
- 5 「その他、ご来場の方々に何かお伝えしたいことはありますか」
- 6 見学した際の感想
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「人物の足跡を展示する施設」というだけではなく、多方面で活躍された盛田夫妻に合わせて様々な興味に対応した展示がなされているので、自分の興味を見つけつつ、学びながら見学することができる「塾」となっています。
質問1「この施設を遺そうと思われたきっかけを教えてください」
盛田館長
まず両親が亡くなり東京の実家にあったものをどうするかというところから始まって、実家が売却されるので「お蔵に入れるならどこかに展示をしようか」となり、「盛田昭夫さんのことを知りたい」とおっしゃってくださる声も多かったので、では記念館を建てようとなったのがきっかけですね。
木原
なぜここ小鈴谷に建てることになったのでしょうか?
盛田館長
記念館をどこに建てようかとなった時に、父と母のお墓が小鈴谷にあるし、盛田本家もあるので、ここに作れば両親も喜ぶと思ったからです。
盛田本家の以前に増築した部分をとり壊して、古い部分はそのままに新しく建物と中庭を作りました。瓦をずいぶん外したので、残った瓦を有効活用して中庭を作っています。
盛田本家に隣接する記念館 効果的に中庭に配置された瓦
木原
外観を拝見すると、材質の異なる四角い箱がいくつかあわさっているような作りになっているのですが、これには何か意味があるのでしょうか?
盛田館長
この施設は六個のキューブでできているんですよ。
館内のプロローグに”箱に詰めた縁への知恵。”と書いてあるように、「盛田昭夫と盛田良子は ”ウォークマン” や ”ちらし寿司が入った重箱” といった四角い箱の中に様々な想いを詰めたんですよ」っていう意味で ”四角” にこだわって、展示も全部キューブに入れようっていうコンセプトが成立しました。
木原
なるほど、それで様々な形の四角い箱なんですね。
そういった外観だったので中はどうなっているんだろうと思っていましたが、外から見た印象とまたずいぶん違って色鮮やかな空間でした。
盛田夫妻の「箱に詰めた縁への知恵」 館内全体に落ち着きと品を感じる
ソニーブルーとソニーグレー
盛田館長
内装は、まずはソニーのシンボルカラーである”ソニーブルー”と”ソニーグレー”の色彩で始まることにこだわりました。外から見るのと中では全然空間が違うでしょ。外は外で周りに盛田の工場があるし、あまり景観に違和感があるのは嫌だったんです。
全部で6つのキューブでできているそうです。 素材が違うのも面白い。
質問2「常設展示に際し、他の施設にはないユニークな品や見せ方などは何ですか」
木原
館内で特に目をひくのがパーティーのしつらえがなされたコーナーで、パーティーリストを閲覧できるのが興味深かったです。
その他にも常設で実際に手にとって閲覧できる資料の数が多いと感じたのですが、どういった経緯からこのような形になったのでしょうか?
盛田館長
ここに置かれているのは目黒区青葉台の実家のパーティーリストで、20冊くらいあるんですけど、誰がいらして、どこに座って、何を食べて、招待状がどうなって、っていうのが全部残っています。
ワインリストもあるし、座席リストもあるし、そういうのが好きで興味がある方には面白いんじゃないかなと思ったんです。
パーティーリストも複製され、自由に閲覧可。 盛田家に招かれたような気分になります。
木原
ライブラリーコーナー以外にも、本が置いてある場所がありますね。
盛田館長
両親の周りにはいろんな素晴らしいご縁があったというのを、気になった方が手にとれるように本を並べてお見せしています。
ライブラリーは展示に関係している方達や褒章など、展示物に関して調べられるコーナーになっていて、例えば高校生がくると「漫画あるよ!」っていってソニーの漫画、『劇画 MADE IN JAPAN』を教えたりしているんですよ(笑)
木原
これは、盛田昭夫さんのベストセラー『MADE IN JAPAN』の漫画版で、さいとう・たかをさんの絵ですね。
今は絶版になっているこういった本も、常設で読めるように置いてあるのが嬉しいです。
館内の各所に本が置かれていました。
自由に手にして読めます。ライブラリーコーナー。
気になった事を調べることができます。
盛田館長
それから両親がミュージカルが好きで、ニューヨークに行った時に観に行った演目のプログラムが全部残っているので、その表紙一覧もファイルにして見ていただけるようにしています。
1950年代からのアニーとか全部初演ですよね。ファイルには番号がふられているので、オリジナルをご覧になりたかったらもう一回予約をとりなおしていただいて閲覧できます。
あとはうちに残っているかぎりの盛田昭夫関連の記事のコピーをファイルにしています。
何箱もあって捨てるわけにはいかない物なので、こうやってお見せしながら管理しているんです。
プログラムの表紙が見られます。 資料のファイリングが圧巻です。
木原
なるほど。整理もかねて閲覧できる資料が多いんですね。
盛田昭夫さん御本人の手によって書かれた物も、その多くが自由に閲覧できるようになっていますよね。
盛田館長
小学校の文集なども全部残っていて、19、20歳の日記では映画が大好きで、1年間に観た映画が全部リストアップされていて、そこにコメントが書いてあるんですね。
それから昭和15年~19年頃に旅行して、思い出をスクラップしているアルバムが5冊あるんですけれども、それを複製して全部閲覧できるようにしています。
この辺の話はなかなか表に出ていないので、人間性、バックグラウンドですよね、人間 盛田昭夫を見ることができるコーナーになっています。
木原
通常だと見られて見開き2ページ、それもガラス越しでしか見られない史料がこうやって全頁好きに見られるってすごいです。他の施設でもこういう風にすればいいのになぜそうならないんでしょうね?
盛田館長
このアルバムの場合は、お客様にこうやって見ていただくために美術専門の業者にお願いして、ページごとに写真を撮って、それを切り抜いてページの上にレイアウトし直して製本するなど、かなり丁寧に作ってあります。
別の展示にあるソニートラベルの出張記録の紙も、破れない特殊な紙を使用しているんです。
こちらが原本。
ガラス越しでも見られるだけ貴重な資料です。こちら、閲覧可の複製本。
まったく同じページを見つけました。世界各地を飛び回っていた盛田さん。 その詳細な記録の複製を見ることができます。
木原
確かに同じページと見比べてもまったくそっくりで、相当丁寧に作られているとわかります。
よれている部分もむしろきれいになっていますし。手間がかかって大変なんですね。
盛田館長
でも最初にきちんと作っておかないと、結局、壊れた壊れたってなるから。
だってこういうの、中見られなかったらつまんないじゃないですか。
木原
確かにそうですよね(笑)
こういった見せ方って、参考にされたり見て回った記念館や博物館ってありますか?
盛田館長
それは一切ないですね。私は基本的に人のを真似する気はないので。
それに、法人が会社をあげて作るものと、私みたいな個人で家族の人間が親の施設を作るのとは、全然スケールも違えばレベルも違うんで参考にはならないんですよ。
ただもちろん、記念館は私一人で作ったわけではなくて。
建築家をはじめグラフィックデザイナー、空間デザイナーや制作の仲間達が、私のアイデアをちゃんと聞いてくださって、そこにプロの技を加えていただいて、こうやって素晴らしい記念館ができあがりました。
木原
ご両親のコレクションを誰かに丸投げせず、御自分のアイデアで公開した施設というのがとてもユニークだと思います。
盛田館長
普通、わからないから専門家に託しちゃうか、集めた本人が自分で施設をつくるかどっちかなんだと思うんです。私は、私が作ったものでもやったものでもないんですよ。親が遺していったものなのでこういう形になりました。
木原
ご家族が運営に関わっていることで、人物の家庭的な側面を見ている感じがしました。
盛田館長
夫婦とか子供の目線になってくると家庭の話になって身近に感じるじゃないですか。
会社がやっている博物館だとどうしても、この方はこんなものを作ったみたいな話になって、そちらに特化するけれど、この施設はあくまで娘が展示しているから、どこに重点を置かなきゃいけないかっていうのは、私しかわからないわけなんです。
ここは私が個人盛田昭夫と良子の生き様を展示しているので、企業がもし博物館を作ったとしても、間違いなくこことはバッティングしないです。
質問3「開館当初の見せ方から変化した部分はありますか、もしあればなぜ変化させましたか」
木原
まだ開館したばかりなので変化した部分はないでしょうか?
盛田館長
常設で変化した部分はまだないですが、定期的に企画展示をして館内に変化をつけています。
例えばヒストリーのコーナーは、お蔵から出てきた昭夫出産の記録でお祝いにいただいたお手紙とか、通常はこれだけしか展示しないんですけれども、今年2021年は盛田昭夫生誕百年ということで、企画展として特別に『昭夫覚』(注:昭夫の育児記録書)を少しクローズアップしてもうちょっと中を詳しく紹介したり、学生時代の日記などを展示しています。
木原
来客者のメモが貼られた一角があり、変化が感じられて面白いですが、ここは具体的にどういったコーナーなのでしょうか?
盛田館長
一応「塾」なので、キャプションのところに一個一個漢字をあてているんです。
お客さんに語りかけようっていうことでボードにクエスチョンを書いて、答え書いてペタペタ貼って帰るようお願いしています。それをインスタにアップしますよっていう、参加型コーナーです。
こちらのキャプションには「想」の文字。 「塾生」として、答えを書いてみました。
木原
他に常設展で特に「これはやってよかったな」っていうコーナーはありますか?
盛田館長
まだ両親を知ってる方が来てくださるから、両親宛の手紙だとか自分の感想を入れてくださいっていうポストを作ったのですが、両親を知っている方々は「懐かしいです」とかそれはわかるにしても、両親を知らない方々が「ただソニーの盛田さんっていうことで来たんだけれども多くの縁を知りました」とか「感動しました」っていうお手紙を入れてくださるんです。
こういうメッセージをいただくことが何よりのやりがいを感じるし、感動しますね。
感じたことを残してくださる方はきちんと残してくださってますし、別に強制しているわけでもないので、こうやって実際に書いていってくださると、やって良かったと思います。
質問4「続けていくにあたって苦労されていること、お困りごとがもしあれば教えてください」
盛田館長
展示でご紹介させていただいている方々も、あと数十年も経つとみんな誰?になるわけですよ。
だからここに出ている人全部にプロフィールを書いてあります。
そうしないと全然知らない人が来たときに、この人がどんなすごい人だったのかわからないわけじゃないですか。ネットで名前を検索すればいくらでも出てくるんだろうけど、そのきっかけを作ってあげるからには、次のステップに行くようにちゃんとプロフィールも伝えていかないと、この人知らない。で終わっちゃうから。
今までの「味の館」(注釈:「十五代当主 盛田昭夫」の常設展がある施設)などの展示は、人の名前しか書かないで、どこそこの大統領の何とかなどの肩書きは書いていませんでした。そんなことを教える必要はなくってわかる人がわかればいいと思っていたわけです。でもそのうちわからない人の方が多くなるわけですよね。
木原
確かにその問題はありますね。
盛田館長
パーティーに出席された方々のサインが展示してあるコーナーも、これをみて「わーすごい」っていう人の年代も、あと10年たったらさらに少なくなっちゃうのよね。この間25歳の子がきたら「うーん小澤征爾くらいかな、わかるの」と言われて(笑)。
みんな知っている、一時代を築いた方々も… 時代を経ると知らない人が増えてくる問題。
木原
これほど錚々たる方々のサインでもそうなりますか。
これはどこの施設にも起こりうる問題かもしれません。
盛田館長
わからない人にわかるようにしてあげなければいけないと思うし、本を並べておいて、ちょっと興味があったらさらに自分で調べられるような仕組みだけ作っておいて、「そうなんだ!」って気付いてもらえればあとは自分で検索がいくらでもできる時代になっているので。
そういう風にしているから、あえて「塾」という名前にしたのは良かったかなと思います。
質問5「その他、ご来場の方々に何かお伝えしたいことはありますか」
木原
来場する方々に対し、施設として特にこだわっている点などありますか?
盛田館長
1回に10人以上にならないようにこだわっています。
無理すれば入るけれど、ライブラリーコーナーで座ってゆっくり見て調べて書いていただきたいと思うと、この場所には何十人もたまれないじゃないですか。
団体様で40人って言われたら、資料館(注:隣にある鈴渓資料館)と半々にして、時差でゆっくりご覧いただけるように配慮しています。
ゆっくり見たり、座って考えたり。
贅沢な時間と空間。ここでしか買えない品ばかり。
お買い物もゆっくりできました。
盛田館長
それから今までのイベント展示では、余計な文字は出さないで写真を観ていただくことにこだわってきたのですが、逆にここはあるだけの情報を全部並べてるって感じですね。
博物館とかだと一個一個の展示をもうすこし掘り下げて研究して、そのものの歴史とかを紹介するんだろうけど、私個人でそこまでやってる時間がないので、結局、実家にあったものを一所懸命並べて終わったみたいな感じなんですよ。
ここから先は、お越しいただいた皆さんの話を聞きながらテキストを充実していこうと思っているんです。そうしないと、別に私は何の専門家でもキュレーターでも学芸員でもないから…
ただ私は綺麗に並べて皆さんに楽しんでいただく ”箱” を作りましたっていう状態なんです。
だけど、それが故に意外と皆さんに「わかりやすい記念館です」とかね、キャプション読んでも私が作っている文章だからそんなに難しいことは書いてないし、皆さんが「親しみやすい」「わかりやすい」「すごく伝わりました」とか言ってくださる。
ある意味プロからみたらいい加減なんだけど、いらした方が詳しくお話しているのを私が横で「そうなんですか教えてください」って伺って、テキストを更新するときに皆さんから教えていただいた情報を入れて、私も「塾」で学びながら、どんどん充実していくっていうようになっていくといいなと思っています。
木原
とっても参加型な感じがします。
自分が興味があって好きなものをどこかしらに見つけられるっていう。
さらに自分が話した情報が次にはキャプションに加わっているかもしれない(笑)
盛田館長
主人公になる人物が一つのものに特化しててくれれば、語る側もフォーカスできるけど、こんなにいろんなものが置いてあるところで、何を伝えたいかって、来る人の興味によって違うわけだから、来た人が自分が興味のあることを見つけてくれて、そこで楽しんで何か学んで帰ってくれればいいわけで、わたしがこの施設を通じて何をどうのこうのって、いえない場所だと思っているわけです。
「もう一度戻ってゆっくり見させてください」って言ってくださるのが一番嬉しいし、そうやって興味のあるところを見つけてくださってそこから何を学ぶかはその人が学ぶことであって、わたしが別にそれを教えるほどこの中を熟知しているわけではないので。
ライブラリーには勲章とか軍服の本も置いてあるし、人ってどこで興味を持つかわからないじゃないですか。だから軍服飾ってあるけど、あの海軍の一本線がなんだとかって、そういうことに興味を持つ子だっているわけじゃないですか、勲章だって奥深いし。
木原
ちなみに私は「ソニー職制表」にくぎづけでした。
昭和39年のこの職制表は、井深大さんが社長で盛田昭夫さんが副社長の時のもので、それぞれまだ54歳、43歳という、ソニー全盛期の時。私の父(注:木原信敏)も載っていて、知っている名前が多く、つい見入ってしまいました。
盛田館長
ソニーOBOGは「年表」によってその時の盛田昭夫との思い出が蘇り、喜んでくださるかなと思いました。
例えば関連会社にお勤めの方は御自分の社名を「年表」から探して歴史を辿ったり、それぞれに興味のある部分を探して読んでくださっているようです。
「職制表」にしても、これだけ個人名を出しておけばきっと、これおじいさんだとかお父さんだとかいって楽しんでもらえるかなと。ずっと見ている方もいて、これだあれだと楽しんでもらっています。
興味をもったその1。
昭和39年のソニー職制表。興味を持ったその2。
受付周辺には遊び心あふれる仕掛けがありました。
木原
最後に、ご来場の方々に何かお伝えしたいことはありますか?
盛田館長
まず、盛田昭夫の側には妻である盛田良子のサポートがあったっていうこと。さらにその周りに素晴らしいご縁があったっていうことをお伝えしたいです。
あとはこれだけいろいろな情報や資料があるので、ここへ来て、興味のあるところに足を止めてご覧になっていただけたら嬉しいですね。
この「塾」は皆さんが何を感じとったか、それをじっくり考えていただく場です。
そこから何か新しいことに出会えたら、是非「塾生」として考えを残していっていただければと思います。
木原
ありがとうございました。
もう一度じっくり館内を拝見して、私もボードに貼らせていただきますね。
インタビューありがとうございました!
見学した際の感想
木原
「盛田昭夫塾」は、財団運営という形でありつつ第三者にまかせた運営ではなく、盛田昭夫さんの長女である盛田直子館長みずからが指揮をとって形にした博物館。
どこの博物館とも似ていない博物館で、親族目線でありながらここまで作り込まれている博物館はこれまで見たことがありませんでした。
盛田館長とは2018年に弊社で盛田昭夫氏の著書『学歴無用論』を復刊させていただいた頃からのお付き合いで、「親の遺した物をどのように次に伝えるか」という私の活動においての一つの指針になっている御方です。
今回のインタビューでは、施設の運営に際し細部まで考えられておられ、型にはまらないスケールの大きなやり方で、楽しみつつ楽しんでもらおうという様子が伝わりました。
「中見られなかったらつまんないじゃないですか。」とか「これだけ個人名を出しておけば、関係者が必ず ”あ、もしかしてこれ ”って出てくるじゃないですか。」などということばの端々に、盛田館長の”遊び心”というか、お客さまに主体的に参加してもらえるようにという”おもてなしの心”が詰まっているなと感じましたし、ご両親はこういった”心”を大切にされた方々だったのかなと感じることができました。