世田谷区立 平和資料館
インタビュー

公開日:2019/11/22 | 更新日:2021/03/21
区営博物館
歴史資料館
東京都
  • Date:2019.11.20 14:00~
    Interviewee:宮阪様(平和資料館 館長)
    Interviewer:木原(フィールドアーカイヴ 代表)

質問1:この施設ができたきっかけ、なぜここに建てられたのかを教えてください

宮阪館長
きっかけとしては、世田谷区在住の方々から寄贈いただいた戦争下の日用品や遺品の展示を目的に、平成7年8月に区立玉川小学校内に「せたがや平和資料室」を開設したのが始まりです。
なぜ当初小学校だったのかというと、場所的な意味はなく、空いていた場所を資料室として使用していました。
その後、移設案が出て別の場所に仮置きし、開設20周年で戦後70年でもあった平成27年8月15日に、今ある世田谷公園内に「平和資料館」として新規開設しました。

世田谷公園に建て直されたのは、もっと皆様に見ていただきたいという思いと、この場所がもともと当時軍事施設、陸軍練兵場であったことにも由来します。公園内に平和の祈り像や平和の灯、被爆2世の木などもあり、平和資料館を建てるのにふさわしい場所として選ばれました。

なぜ世田谷区でこのような資料を展示するかというと、昭和60年に世田谷区は平和都市宣言をしており、平和教育も含めて平和の尊さを後世に伝えていくことを目指しているからです。

質問2:常設展示に際し、他の記念館にはないユニークな品や見せ方などは何ですか

宮阪館長
世田谷区は空襲が少なかったので戦時中の物が綺麗な状態で残っていて、それらを寄贈してくださる方が非常に多いです。それゆえ、他の施設では見かけないような当時の日用品、靴や人形や手紙などが常設展示されています。
さらに、世田谷区での学童疎開の様子や子供の教育など、戦時中の子供達に焦点を当てているのが特徴です。

世田谷区にこだわらず、広島・長崎・沖縄などの他地域の様子、沈没船についてなど、幅広く太平洋戦争時の様子を伝える展示も心掛けています。

質問3:開館当初の見せ方から変化した部分はありますか、もしあればなぜ変化させましたか

宮阪館長
平成31年3月15日に、常設展示室がリニューアルオープンしました。
平成27年の新規開設時、以前の装置をそのまま持ってきて置いた状態で、ただ並んだパネルを見せるだけの展示でした。
この場所用に作った装置ではなかったため、動線がともなっていなかったり、がっちり取り付けられていてとりかえがきかないもので、決して見やすく使いやすい資料館とはいえませんでした。

展示替えがしたい、その都度で内容を変えていきたいという職員達の想いから、今回のリニューアルとなりました。
おかげでパネルが単においてあるだけではなく、壁から飛び出た透明な箱なども自由に増減でき、展示内容も取り換えが可能で、自由な見せ方ができるようになりました。

質問4:続けていくにあたって苦労されていること、お困りごとがもしあれば教えてください

宮阪館長
苦労というのではないのですが、やっぱり「せたがや未来の平和館」という愛称なこともあり、若い方に来ていただきたいというのが課題です。広い世代に来ていただくことを望んでいます。

あとは、随時、平和に関する資料を収集しています。太平洋戦争や戦時下の暮らし等を伝える資料をお持ちの方は是非ご連絡ください。
戦争体験を話してくださる方も探しています。

質問5:その他、ご来場の方々に何かお伝えしたいことはありますか

宮阪館長
資料館の事業として企画展やライブラリはもちろんのこと、巡回展や館内ガイド、出前授業や戦争記録DVDの作成などにも力を入れています。

ご来場を機に、他の戦争関係の資料館も回っていただきたいですね。
特に「東京大空襲・戦災資料センター」。ここは私設の展示館で、公的援助なしで頑張っている施設です。
見ごたえがあるので是非行ってみてください。

見学した際の感想

木原
平日13時頃に入館した際には、人がまったくいなくてゆっくり見学していましたが、しばらくすると若い女の子達40人くらいが引率の先生とともに一気に見学に来て、びっくりしました。このように授業の一環で施設に来る人も多いようです。
企画展示室にも小さい子達を連れた母親が戦争映画を観ていたりと、公園に来た若い人達がふらっと入りやすい雰囲気になっていると感じました。

戦争と平和という分野は、なかなか公的機関が運営母体でないと、続けていくのも無料での公開も難しいのかもしれませんが、次世代に伝えるべき大切な分野だと思います。
館長からお話のあった「東京大空襲・戦災資料センター」、近いうちに伺いたいです。