印刷博物館
インタビュー

公開日:2023/04/10 | 更新日:2023/04/11
東京都
企業博物館
歴史資料館

博物館運営でつちかってきた
「印刷文化学」が学べる施設

自社製品の展示を超えた「印刷」全般を取り扱う印刷の “保存・伝承・体験” 施設。
リニューアルに込めた想いや展示以外にかかる保存・継承の大変さについて伺いました。

  • Date:2023.2.21 10:00~
    Interviewee:宗村 泉様(印刷博物館 副館長)
    Interviewer:木原 智美(フィールドアーカイヴ 代表)

質問1「施設の基本情報について教えてください」

木原
まずは施設の名称をお伺いしたいのですが、「印刷博物館」であっていますでしょうか?

宗村副館長
その名称だといわゆる“責任所在”がわからないので、どこが運営しているのかという“運営母体”を表すために、例えば所蔵品を紹介する時やイベントの時、チラシや図録のあとがきには「凸版印刷株式会社 印刷博物館」という書き方をしていますが、表立って使っているわけではないので、正式名称は「印刷博物館」となりますね。

木原
「印刷博物館」の運営母体は、つまり「凸版印刷株式会社」になるんですね。
連絡先は本社になるのでしょうか?

宗村副館長
私たちが今所属しているのは、凸版印刷株式会社(以下、凸版印刷)の広報本部になります。

いろんな企業ミュージアムさんがあって、例えば公益法人化してそこで運営しているとかもあると思うんですけど、うちは広報本部で直営となります。

木原
配置換えとか、部署替えみたいなことは余りされずに、転属で地方に行ったりというのはなく、基本的にはずっと同じ方が配属されるのでしょうか?

宗村副館長
ここで働きたいと覚悟を決めてくる方がほとんどですね(笑)。

木原
なるほど(笑)。
企業の管轄なので、いろんな部署を渡り歩いている方が一時期 印刷博物館に在籍して、また転属される感じなのかと思っていました。

宗村副館長
企業ミュージアムの中には、そういうところもあるでしょうね。
ただ、それでも館長などの上層部は変わっても下の人達は変わらず何十年も在籍している人がいる、というところは多いと思います。


質問2「この施設をつくろうと思われたきっかけを教えてください」

木原
この施設ができたきっかけからお話を伺えますでしょうか。

宗村副館長
まず、印刷博物館を建てたきっかけ、直接の理由としては「運営母体である凸版印刷が、ちょうど創立100周年を迎えることになったから」があげられます。

100周年を迎えるにあたって「記念事業の一環として、文化施設を作りましょう」という動きが出たのです。

木原
凸版印刷の創業は1900年と伺っているので、100周年はちょうど2000年になりますね。

宗村副館長
はい。キリがいいんです。
印刷博物館は2000年の10月にオープンしました。

現在この場所には、文化施設として「印刷博物館」と「トッパンホール」があります。

「トッパンホール」は音楽専門のホールで、音楽としての文化活動を支援、貢献する場所。そして「印刷博物館」は印刷という本業の文化活動を支援、貢献する場所になります。

印刷の歴史や文化についてのコンテンツをしっかりまとめて紹介していきましょうというコンセプトで建てられました。

木原
なぜ企業の紹介施設ではなく、博物館的な施設になったのでしょうか?

宗村副館長
元々この印刷博物館ができる前、1987年に「印刷史料館」という小さな400平米ほどのスペースを「総合研究所」という私たちの研究所の中に作ったんです。

総合研究所は、埼玉県の杉戸高野台にあります。

何で「印刷史料館」を作ったかというと、凸版印刷は1960年に60周年ということで初めて社史を出して、そのあと1985年で2回目の社史を出しているんですね。

その際に集まった社史のコンテンツをまとめて、ちょっとしたショールームを開設したのです。

その史料館の中には、凸版印刷のコンテンツだけではなく、会社が以前から持っていた、例えば “徳川家康が作った活字” といった少し印刷の歴史を語れるようなコンテンツも収蔵されていました。

木原
その史料館は当時、一般公開をされていたのでしょうか?

宗村副館長
元々の目的は温故知新で内部の研究者向けに、自分の会社はこういう足跡があったんだということを知らしめるための施設だったんですけど、近隣の学校とか、印刷関連の会社からのオファーがあって、また外部の研究者からも見学したいとオファーがくるようになっていったんです。

そこで、事前申し込みのみでオープンしていました。

だから13年間やっていて、来館者数が1万人くらいなんですよ。
本当に年間で千人いかないくらいだったんですが、史料館にあったコンテンツは最終的には2万点程になっていました。

そこで、この施設をもう少しちゃんと発展させて一般公開しましょうということになって。
「この史料館の存在」と「100周年の記念事業」がきっかけで、この博物館が建てられることになったと言えますね。

木原
なるほど。
ところで、史料館があった埼玉県ではなく、この地(東京都文京区)に博物館が建てられたのは、元々ここが凸版印刷と縁のある場所だったのでしょうか?

宗村副館長
この場所には凸版印刷のパッケージ工場があったんですよ。
元はパッケージ印刷工場の拠点だったのですが、どんどん周りにマンションも建ち、小石川地区に工場があるというのが、立地的にちょっともったいなくなってきて。

当然、2000年という年を考えてみるとアナログからデジタルに変わっているというので、そういう意味では一度、包装材の工場は別に移して、ここを再開発して、オフィスビルを作りましょうとなったのです。

その頃本社は秋葉原にあったのですが、そこも古くなっているし、時代を見据えた建屋を作っていくべく再開発しましょう、と。

木原
宗村様は「印刷史料館」があった頃も含め、ずっとこういった事業に関わっていらっしゃるんでしょうか?

宗村副館長
私は凸版印刷に1980年に入社しました。
1982年くらいからずっと広報部にいて、史料館には居なかったですけれど、1987年のオープンのちょっと後くらいから関わりがあって、史料館や博物館、100周年事業も含めて、ずっと何らかの形で関わってきましたね。

木原
宗村様のような、そんな昔からの博物館設立の流れをご存じな方から、直接当時のお話をうかがえて嬉しいです。

質問3「常設展示に際し、他の施設にはないユニークな品や見せ方などは何ですか」

木原
ちょっとこの質問から逸れるかもしれないのですが、凸版印刷の一事業として「記念館など他の文化施設をプロデュースする」という事業をされていると伺っています。

宗村副館長
そうですね。
文化施設というよりも博物館とか資料館とか、そういったところを作るお手伝いをしている会社が子会社にあります。

木原
いくつか博物館を調べているうちに、凸版印刷が関係している事業に行きついたことが何度かあったんです。
確か大阪万博がきっかけでできた会社ですよね?

宗村副館長
トータルメディア開発研究所」という会社ですね。

1970年に大阪万博が開催された時に、日本中の優秀なクリエイターや各界の先鋭的なブレーンが集結したんです。
その後、せっかく集結したブレーンたちがそのまま解散してしまうのはもったいないということになって。

凸版印刷も万博に関わっていて「せっかくだから、このブレーンで会社を作ろう」ということになって、クリエイターさんや学者さんなどを束ねた、いわゆる企画会社として最初に立ち上がりました。

大阪万博の跡地にできた「国立民族学博物館」とか、千葉の「国立歴史民俗博物館」とか、そういう国立系、あと「江戸東京博物館」とか。
国立系や公立の博物館ですね。そういったものを手掛けて、さらには地方自治体の博物館であったり、あとは企業の博物館。
例えば近いところで言うと「鉄道博物館」。
あとは、ちょっと異色ですが、広島県呉市の「大和ミュージアム」なども手掛けています。

木原
実は私はリニューアル前の2018年に、この印刷博物館を見学していまして。
その時はそういった背景を全く知らないなかで、日本の博物館技術の粋を集めた博物館みたいな印象を持ってすごく感動したんですよ。

その後「トータルメディア開発研究所」のことを知り、なるほど、だからかと妙に納得しました。

リニューアルする前には、施設の奥のほうに「江戸時代の木版印刷機械」や「西洋の印刷機械」が機械だけではなく、作業場などと共に背景も含めて再現されていたりしていましたよね。

宗村副館長
「錦絵工房」と「西洋の印刷工房」ですね。

木原
ああいった見せ方は、今回なぜなくすことになったのでしょうか?

宗村副館長
「開館から20年経つ間に得た知識」と「お客様からあった意見の結果」ですね。

記念事業として企画が立ち上がった当時、凸版印刷は企画会社を持っているわりに、社内で本格的な博物館を作るのは初めてだったんです。

この博物館を建てるにあたって、親会社が他の企画会社にお願いするわけにもいかないので子会社である「トータルメディア開発研究所」に依頼しました。

木原
確かに、他の企画会社に頼むわけにはいかないですね(笑)

宗村副館長
その際に「好きに作っていい」と発注したんです。

今までいろんな制約を出されたかもしれないけど、そういう制約は出さないから、トータルメディアが考える一番すごい博物館を、もちろん予算があるけど作ってくださいというところから博物館づくりがはじまったんです。

木原
それはすごく気っ風がいい親会社ですね!
でも逆に、なんでもよいと言われて、子会社は困らなかったですか?

宗村副館長
1995年くらいから話が始まったのですが、最初の1年間くらいはいろいろと行ったり来たりしてなかなか進まなかったですね。

その後色々話し合ってできあがったのが、リニューアル前の展示です。
あれはコラム形式の「テーマ展示」といって、歴史の流れではない展示だったんですよ。

大きな歴史の流れはもちろんあるんですけども、それぞれの島が全部独立していて、全然違う切り口で展示を展開していました。

トータルメディアとしては初めての試みだったのですが、当時はすごく斬新で面白い見せ方でしたね。先輩のプロデューサーは時系列にしようって言ったのですが、様々な思惑があり、あえて私たちはしなかったんです。

でも20年経って、それはもうちょっと違う、となってきました。

木原
ちょっと違う?

宗村副館長
実は「テーマ展示」にしたもう一つの理由としては、時間がなくて私たちの知識が及ばなかったのをごまかすためっていうのもあったんですね。

オープンまでの時間が決まっていて、準備期間が3年くらいしかなかったんです。
はじめてのことで、当時は印刷に関する学者や専門家が社員にいるわけでもなく、下手に歴史の流れに沿った展示「時系列展示」にしたら、学者さん達に「これは間違っている」と言われてしまいかねない。

その危険を回避するために、ちょっと色を変えて、時系列を無視してテーマにしよう、とテーマでまとめたのです。

木原
なるほど、まだ知識と経験が足りていない状態で時間もかけられず、「テーマ展示」が当時考えられる最善の展示方法だったというわけですね。

宗村副館長
それが20年経って、私たちも知見が溜まってきたし、二十何回も企画展をやっているわけだから、「時系列という見せ方」も大切だよねとなってきたのです。

どういうことかというと、一般の方々って歴史感がベースにあるんですよ。
だから、突然全然違う展示コーナーがポンッと出てくると戸惑われるんですよね。

クレームとまではいかないけども「どうしてこういう並びになっているんですか?」という話になったので、では一回「時系列展示」にしてみようということでリニューアルしたんですよ。

木原
リニューアル前の「テーマ展示」もとても好きで面白かったですが、リニューアル後の「時系列展示」は道順もついて戸惑わず、印刷文化の歴史がわかりやすくてよかったです

木原
他の企業博物館だと、自分の会社名を前面に出して、自社の商品や歴史を見せるというような見せ方が多い印象があるのですが、この博物館には入ったすぐの奥にある「世界一小さい本のコーナー」以外には凸版印刷とわかる商品がありませんでした。

宗村副館長
“マイクロブック” ですね。
あのコーナーだけは、ギネスブックに載っているというので、どうしても凸版印刷を出さないと仕方がないので。
ただ、別に凸版印刷を毛嫌いしているわけじゃないんですよ(笑)

オープンする前に「どういう博物館を作るんだ?」ってなった時には、ちょうど100周年で、社史『凸版百年』というのを出したので、当然それが中心になって展開されるんだろうな、と思っていました。

なぜかというと、母体になっていた「印刷史料館」は凸版印刷の85年史が中心になっていて、そこでは凸版印刷の歴史が展示されていたんですね。

木原
「印刷史料館」の頃はもっと企業博物館っぽかったんですね。

宗村副館長
でも移転するにあたって、結構広いスペースになったし、100年という大きな節目の年だし、どうしましょうかと、外部のブレーンの先生方と一緒に話をした時に、印刷って100年どころじゃないんじゃない?凸版だけじゃないんじゃない?という話が出てきまして。

もっと印刷とは何かを掘り下げるべきなのではないかということになって、では切り口をどうしようかとなり、そこで本社上層部も含め、随分私達も話し合いをしました。

そのうち「凸版印刷という会社の色はなくしてやってみようか」というので企画を立てたんです。

うちの収蔵品は技術的なものよりも印刷物のほうが多くて、どちらかというと「技術史」より「文化史」になるので「印刷文化史」をメインに見せる形で。

そういう風に日本や世界の印刷の文化を見せていったらどうだろうかという企画を立てたところ、それが通りまして、それを元に、凸版のトの字も考えずに博物館を作ったんです。

ただ、出来上がって、社長が変わって、社長が変わると見方が変わるので、2代か3代くらい後で「ここ(博物館)には、うち(凸版印刷)の社史ないね」って言われました(笑)

木原
気づかれてしまいましたか(笑)
とにかくすごく贅沢というか、まったく自分の「社史」を見せずに、社会貢献的な施設になっていますよね。

そういった気風のよさや心意気が随所に感じられる博物館だなと、見学するたびにいつも思います。
自社のことよりお客様や社会全体のため、みたいな。

宗村副館長
そこはこだわりましたね。

たばこと塩の博物館」なんかもそうじゃないですか。
元々あそこはJTの前の専売の時代にできていますから、そういうこともあるのかなと思うんですけど。

あとトヨタの「トヨタ博物館」って、歴史的な車が多く展示してある場所がありますが、あそこもマツダや日産など他の車が並んでいますから。

木原
確かに「たばこと塩の博物館」(→ インタビューリンク)も自分の会社よりも歴史や文化の紹介をメインに展示されていますね。
世界の塩の芸術作品とか、日本の塩の文化などのジオラマが圧巻でした。

宗村副館長
印刷博物館は「印刷の歴史は1300年で、それをまとめてみよう」ということが第一だから、「企業ミュージアムなんだけれども、当社の歴史は全くなくて印刷全般を展示している」というのが、当館の特徴の一つになるのではないでしょうか。

木原
その他に、他の施設にはないユニークな見せ方はありますか?

宗村副館長
「印刷工房」と「P&Pギャラリー」ですね。

まず「印刷工房」では静的な展示とは違って、動態展示をしています。

活字・活版印刷って、なくなりつつある、絶滅危惧種なんですよ。
だから、それを何とか「保存」および「伝承」するということで、活版印刷の工房を作ったんですけど、非常に難しいですね。

木原
そうなんですか?
印刷工房、私も体験してとても面白かったですが、「技術を受け継ぐのは難しい」ということですか。

宗村副館長
職人さんって技術が身についているじゃないですか。
みなさん学校卒業してすぐ会社入って、文選ぶんせんなら文選、植字しょくじなら植字の専門家なわけです。

例えば全部活字が並んでいる棚があるんだけど、全部、部首別なんです。
漢和辞典の文字の並びが頭にないとできないけど、体で全部覚えちゃっていますから。

原稿を見ながらの、そのスピードたるやすごいですよ。
でも、そんなことできないじゃないですか。

木原
それは受け継げないですね…。

宗村副館長
スピードとか、そういうのは要求されてもできないんですけれども、作業の工程とか、活字をどうやって扱うかといった正しい使い方だけはちゃんと教えてもらって、工房で「保存」「伝承」をする。
もう一つはそれを「体験」する。

「保存」「伝承」「体験」の3つができる。
活版印刷にある程度特化しているんですが、そういう場所はなかなかないのではないでしょうか。

それも当館の特徴の一つといえるかと思います。

宗村副館長
それから1階にある「P&Pギャラリー」。

こちらも私たちの管轄ですけど、地下の展示が「歴史中心」なのに対して、このギャラリーは「現代の印刷の表現」にある程度絞って展示をしています。

例えばグラフィックデザインとかパッケージデザインとかブックデザインっていう切り口の定例を、シリーズでずっとやっています。

あとは凸版印刷の最新技術だったり、今の印刷の技術だったりという「現代の印刷の表現」を中心に展示しているスペースになります。

質問4「展示すること以外の取り組みがありましたら教えてください」

木原
常設展の運営以外にも、印刷関係の資料を収集したり復刻したり、活版印刷の技術を保存して次に伝えていく、みたいな活動も印刷博物館ではされていますね。

宗村副館長
そうです。
難しいですけどね。

例えば活字を鋳造するという技術。
うちには鋳造機(活字を鋳造する機械)が残っているんです。
鉛を溶かして、活字って鉛ですから鉛を溶かす鉛の窯があって、それをガチャガチャやって活字を作るんですよ。

昔は職人さんがいたから、そんなこと朝飯前なんですけど、我々はどうやって動かすのかわからない。
職人だった方を探し出して聞いて、やってみるのですが全然できない。
向こうは毎日それをやっていたわけですから「何でできないんだ」ってなる。

こちらも必死に作り方を学ぼうとするのですが、下手したら溶けた鉛ですから、熱いですし、ケガもするしっていうので。

木原
誰かが残す活動をしていかないと、本当にもう絶えちゃいますよね。

宗村副館長
残すということは大切ですが、すごく大変なことです。

木原
本来抱えなくてもよかったかもしれないような使命を抱えてしまっている、みたいなところが頭が下がります。

宗村副館長
おっしゃる通り。
だから、また社長が何代か変わると言われるかもしれない(笑)

木原
自社の歴史だけを見せていればもっと簡単だったかもしれないけど、もっと文化的なものを保存する取り組みを選択されたのは、世間一般からするとありがたい選択だったと思います。

宗村副館長
だから責任があるんですよ。
凸版印刷だけが活字を作ったわけじゃないですから。

木原
それこそ関東と関西でも全然違う印刷文化が存在する可能性がありますよね…。

関西や九州などで独自の発展を遂げた印刷機や活字の古いものとか、使われなくなったものとか送られてきたりするのでしょうか?

宗村副館長
活字や印刷機の寄贈が多くありましたが、今はピークを過ぎましたね。

活版印刷を廃業する会社が増えた時期があって、そういう所からの活字を一括で受け取っていました。
でもさすがにあれは数が多いですから、収蔵できる限界があって。

木原
もう受け取れない、みたいな?

宗村副館長
そう。受け取れなくなりましたね。
うちでも全部が全部収蔵できないですから。

活字のメーカーさんがいくつかあるんですけども、「この活字はそのメーカーさんが持っているかな」ってなっちゃうと受け取れないですね。

ただ、メーカーが違うってことはイコール書体が違うので、私たちにとってはお宝なんですよ。

凸版印刷には「凸版書体」っていう書体があり、凸版印刷が工場で使っていた書体なのですが、別の活字メーカーが作る書体とは違います。

そういう意味では、歴史をちゃんと抑えることを考えると、それこそ全書体が欲しいというのが本音です。

印刷機械も体系立てて所有したいし、それが使命だというのも分かっているんですが、置き場所がないし、もらっても展示ができないというのが悩みですね。

質問5「開館当初の見せ方から変化した部分はありますか、もしあればなぜ変化させましたか」

宗村副館長
リニューアルにあたって、見せ方を大きく変化させたのは、先ほどお話した「コラム展示から時系列展示へ」の他には、「企画展の見せ方」と「“印刷の日本史”を中心にしたこと」が挙げられます。

木原
そういえば、印刷博物館は地下1階に常設展示の場所はありますが、企画展示はどうなっているのでしょう。
1階の「P&Pギャラリー」が企画展示室になるのでしょうか?

宗村副館長
「P&Pギャラリー」も企画展示ですが、地下1階にも年1回くらい企画展が開催されています。
1階が年に3~4回くらいで現代の印刷展示が多いのに対し、地下1階は歴史的な展示が多くなります。

地下1階の企画展は、普段は常設展が並んでいる場所にスペースを作って展示しています。
全体の4割くらいの場所になるのですが、常設展は間引きたくないので、残り6割のほうに全部押し込めてしまえるよう “可変型” のシステムにしているんです。

木原
面白いつくりになっているんですね!

宗村副館長
以前は手前のほうの6割の部分で企画展をやっていたんですよ。
だけどそれだとちょっとおおごとになりすぎちゃうので、少なめに展示できるようにリニューアルしました。

宗村副館長
あとは「“印刷の日本史”を中心にしたこと」ですけど、以前はもっと海外の歴史や機械などが多数展示されていたんです。

それを今回のリニューアルで「印刷の日本史」を中心にしました。
日本のことを中心にまとめたのは、2020年にリニューアルした大きな理由の一つですね。

ちょうどコロナの前でインバウンドで、欧米はもとよりアジア地区の人も多く来られたんですよ。

「テーマ展示」も良かったんですけども、日本にある印刷博物館なんだから、もっと日本の印刷の歴史をちゃんと展示しよう、という意識が出てきたんです。

もちろん世界との関連があるから、世界は「年表形式」にして壁面に詳しく表示しつつ、日本の印刷史を厚く展示しましょう、となりました。

技術的なことももちろん歴史的なことも、両方ともやればやるほど深いんですよね。
その深いことをどんどんやっていくと、凸版の会社の歴史からはどんどん離れていってしまう(笑)

木原
そうですよね、プリントゴッコまでおいてありました(笑)。
懐かしかったです。

宗村副館長
あれがいわゆる孔版、穴の開いた版なんですよね。
プリントゴッコもありますし、ガリ版もあります。
昔は一般的でしたけれど、もうガリ版もわからない人が多くなっています。

木原
私もガリ版は使ったことがなかったです。

宗村副館長
活字が使われなくなってデジタル化していったのと同じように、穴の開いた孔版というのは今ほとんど使われなくなってきて、プリンターにとってかわられていますね。
新しい技術にかわって、なくなりつつある技術です。

活字もガリ版も、印刷博物館では事前申込みで体験できるプログラムもありますが、とても人気で倍率高いです。
例えば4人のところに何十人も応募があります。

質問6「続けていくにあたって苦労されていること、お困りごとがもしあれば教えてください」

木原
運営にあたって、苦労されていることや悩みごとなどお聞かせいただけますでしょうか。

宗村副館長
リニューアル前の話なんですけれど、デートスポットにいい場所ということで、当館が選ばれたことがあるんですよ。

なぜかというと人がいなくて混んでいない。あとは暗いから(笑)

木原
なるほど(笑)
確かにデートスポットにいいですね。

宗村副館長
暗い、人がいないというのはリニューアル後もあまり変わっていないですけど(笑)

とにかく、印刷物は強い光に弱いんです。
本当にダメなんですよ。

日の光に照らされた街中のポスターは最初に黄色が退色して、次に赤色が退色するんですよ。
だから青色と黒色だけの色調のポスターがよく残っていますけど。

光にはすごく弱いので、極力暗く保つ。
何でこんなに暗いんだ、足元が見えないって言われることもあります。

木原
館内をある程度は暗くしなくてはいけないので、そこは悩みどころですね。

宗村副館長
あとは学芸員ですね。
採用して、どう育成していくか。

印刷をやっているっていう学芸員っていないんですよ、世の中に。

例えば考古学とか、江戸時代のなんとか文化には詳しいとか、あるんですけど、印刷っていないんですよ。
どこの大学だってそんなことを教えているところはないし。

そういうまったく何もないところから、この博物館に合わせた学芸員を育成しないといけない。

それは推して知るべしで、だから他のセクションには行けない。
「ここで骨をうずめます」っていう人を雇わなければいけない大変さはあります。

木原
なるほど。
だから「ここで働きたいと覚悟を決めてくる方がほとんど」になるんですね。

宗村副館長
それから、資料の収蔵方法と場所も悩みどころですね。

歴史的に本当に貴重なものとかはなかなか寄贈されないんですよ。
それらはどうやって手に入れるかというと、取り扱うのは古書店さんとかになってきます。

お金払って、それなりの対価を払ってということになると、もちろん予算が必要になりますよね。

うちは公益法人化しているわけじゃないので、どんどん資産が増えていくわけですよ。

木原
なるほど、収集した資料は経費では落とせないということなんですね。

宗村副館長
印刷関連の資料をもっと収集したいし、収蔵もしたいけれど、収蔵した後も管理をちゃんとしていかなきゃいけない。

資料がどんどん増えると、それだけ収蔵場所が必要になってきます。

木原
収蔵方法まで考えると、確かに、ただやみくもに資料を集めればよいということにはならないですね。

宗村副館長
あと、結構顕著だったのが、電子機器の経年劣化の速いことですね。
電子機器に頼ると、結構痛い目に遭いますよ(笑)。

木原
それは気になりますね(笑)
どういう痛い目に遭われたのでしょうか?

宗村副館長
リニューアル前は多くの場所で解説をモニターで、デジタルで見せていたんですけど、これはやっぱり壊れるし、壊れたら調整中になっちゃうしで困ったことが多かったんですね。

だからリニューアル後は多くの場所で壁にアナログで解説にしたんです。

壁だったら照明さえ当てればいいんだからっていう。
少しアナログで見せていく、しっかり見せていくところは電気がこなくても大丈夫にするっていう手法をとりました。

これはやってみないとわからなかったですね。

本当に見せたいものは、本物のオーラはあるし、本物を置いたところで、それをきちんと紹介する。

まずは本物ありきで、アナログで解説を見せ、さらに深く知りたい人はモニターで見せるというようにして、電子機器の表現だけに頼っちゃだめだ、となりました。

木原
勉強になります。
いろいろ試して、良い部分を残しつつ、リニューアルされていっているんですね。

宗村副館長
やってみてわかったことは多いですね。

学問的な領域としての「印刷学」というのはなかったので、いろいろ話し合ってコンテンツをゼロから作ったようなものです。

さらなる構想として、1998年の、博物館ができる前から「『印刷文化学』っていうのを立ち上げていきたい、確立までいかなくても途中段階まででももっていきたい」という話をしていたのですが、これもなかなかできていないですね。

今までもいろいろ試してきましたが、印刷の歴史は普遍的なものなので、これからまた若い人たちのいろんな感性を加えて博物館を運営していけたらいいなと思っています。

質問7「その他、ご来場の方々に何かお伝えしたいことはありますか」

木原
来館した方に、ぜひここを見ていってほしいというところなどがあったら、教えてください。

宗村副館長
そうですね…。
正直、子供向けの博物館ではないところがあって、“冷たい博物館” と言われることもあるんです。

かわいいキャラクターがいるわけでもないですし、これは仕方がない部分ですね。
万人に受けるコンテンツとは言えないです。

いわゆる、公的な博物館ではないので、誰が見てもわかるようにとか、誰が見ても楽しめるようにとは、正直いって作ってはいないです。

木原
公的な博物館のようで誰が見てもわかる展示だと私は感じましたが、確かに大人になってからのほうがより楽しめる博物館なのかもしれないですね。

宗村副館長
ある意味、そこはもう ”大人の味” ですね。

ただコンテンツは充実していて、ちょっと興味ある人だったら2時間でも3時間でもいられると思いますし、活版印刷に興味あれば、印刷工房がありますので、ぜひ、それらを目的にいらしてほしいですね。

日本の歴史の中で印刷が絡んでくる部分というのは結構あるので、そういうのが好きな人にはぜひオススメだと思います。

見学した際の感想

来るたびに何時間も見学してしまうくらい、歴史・印刷好きにはたまらない博物館です。

活字鋳造や銅版印刷の動画など充実したコンテンツがさらっと紹介されていて、すごく洗練された空間なのですが、実は裏では大変なご苦労があってできあがった空間だったのだなとインタビューをさせていただいて痛感しました。

博物館としてのノウハウを蓄積し続けつつ、柔軟に変化させながら、本物を次世代に継承する。まさに “粋で大人な博物館” 。

お腹がすいたら2階に食事処が2軒あり、当日に限り再入場可なので、見学するたびに食べに行くのも楽しみの一つです。